kimamani-nunblogのブログ

WEBの広告代理店に務める筆者の書きたいことを書くブログ。

うつ病が教えてくれたことは-後編-

 

こんばんは。

 

気ままにぬんブログの番外編的な内容になります。

 

さて、先日投稿した

うつ病が教えてくれたことは-前編-」の続き、後編です。

 

▼前編はこちら

kimamani-nunblog.hatenablog.com

 

2015年の8月からうつ病で休職をした筆者ですが、

2016年の2月末まで、「人生の夏休み」は続きました。

 

休んですぐに、そもそも会社の夏休みを利用して行こうと予定されていた北海道旅行がありました。

 ・・・これは悩みました。

お金はパーになるけど、コンディション的に行けないかもしれない。

しかもひとり旅だし・・

行かないでおこう。そう決め、かけました。

 

 

元々予定の中に、大学時代にお世話になっていたゼミの先生と現地で1日帯広を周りましょうと約束していたので、

先生には行けなくなりましたと伝えなければ・・と、メールを打ちました。

 

素直にいまの状況を伝え、行けませんと言ったわけなんですが、

行き先が北海道であることから、いい意味でリフレッシュになると思うからと、

逆に、行くことを勧めてくださり、数日考えた結果、北海道に行くことにしました。

 

 

筆者は、大学のゼミ旅行に行って以降、北海道が大好きで。

しかも、縁あって、北海道の音更町にある道の名前を命名させていただいた経緯もあり・・・(自分でもびっくり)

北海道にはとても親しみがあって、大好きな場所なんです。

 

 

うつ病だと診断されて、ほんと1週間後くらいだったと思います。

そのまま、北海道旅行→実家で療養というスケジュールだったので、

大きな荷物を抱えて、いざ北海道へ。

 

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モエレ沼公園 (撮影者:筆者)

 

ありがたいことに、とっても良い天気で、北海道の澄んだ空気と、

青々とした緑、美味しい食事。

自分の状況をできるだけ忘れて、北海道で過ごした数日はほんとに貴重でした。

あの時、行く選択をしてほんとによかったです。

 

 

うつ病になっている時は、「楽しい」とかいうプラスの感情を感じづらくなります。

基本的に「悲しい」感情が続く。

 

テレビとかも笑えないですしね、むしろバラエティは見れない。

ちらっと見て「この人たちは楽しそうでいいな」とまで思ってチャンネルをかえましたね・・

 

 

北海道から実家へと飛び、

ただただぼーっと、やりたいと思えたことだけをする療養期間でした。

 

気分が軌道に乗っている時は、会いたい友達にも会うようにしていました。

 

気分の浮き沈みがすごくて、

昨日は「ここに行こう」と思ってたのに、

朝起きたら「絶対に行けない・・」となっていたり。

 

自分でもその浮き沈みの違いに振り回されていました。

 

1ヶ月で、実家からまた東京へ戻り、

病院へ通い、定期的に職場の方と面談したり、

たまに会いたいと思える人たちだけに会ったり。

 

さきほど、浮き沈みがあると書きましたが、

症状がよくなってる来てるのかもと思えた兆候としては、

その浮き沈みの周期が徐々に長くなってるんですよね。

 

どっぶり病に浸かってる時は、短期的に波がやってくるけど、

よくなってくると3日、5日、1週間・・みたいな感じで

前向きに考えられる日の日数が増えてくる。

 

 

それに気づいた時、

「あ、よくなって来てるかも」

と我ながらに思ったんですよね。

 

そして、「いま調子がいいかも」っていう時だけ、

少しずつ自分の病気について考えられるようになりました。

 

・そもそもなんでなったのか?

 

っていう根本の部分は何度も考えましたし、

本を読んだり、ネットで調べたりとか情報収集しながら、

自分の性格とか置かれていた環境を考えながら、

何がこの病気に作用したのかなって。

 

 

私の性格は、

基本的にはポジティブだしよく笑うし、楽しいことが好き。

周りの人にはおちゃらけてるように見られてる部分もあると思うんですが、

実は真面目で正義感が強いところがあり。

 

 

この真面目なところは大きな1つの要因だったと思うんですよね。

真面目が故に、全てを背負っちゃう。

交わせるくらいの身のこなしができたらよかったんですけど、全部受け止める。

 

そして「ああ自分ってできない奴なんだな」と

自信を削ぎ落とす日々。それが蓄積されて行く。

 

今思っても1年目のペーペーでなんの自信があるんだって笑いそうになるんですけど、

世の中の全体をできるかできないかで分類したなら、できる寄りには属しているだろうという

根拠のない自信があったんでしょうね・・

(今思えば笑わせてくれるぜ・・)

 

 

そして、日々の業務の中で、「あれ、自分って仕事できねーな。無能やん」

みたいな現実に直面して、崩れ落ちたわけです。

「音を立てて崩れた」ってあのことだと思いました。

 

少しずつヒビが入っていたものに、最後ハンマーでバチコンされたみたいな・・

 

「自信」は時に自分を強くしてくれることもありますが、

それ故に「できない」に直面した時に、急速落下のようにもなりかねないので、

とても難しい感情だと思います。

 

その日以降、いろんな感情が崩壊して涙がよく出るようになってました。

 

うつ病になると、逃げ道を考えられなくなるんです。

今ある目の前のことに向き合うことで精一杯。

 

だから、自殺という結果になる方の気持ちも当時は理解できました。

私は幸い死ぬ選択は持ちませんでした。

 

 

辛い時に八方ふさがりになってしまって、「死」という最後の選択しかなくなる前に、

自分はもちろん、周りの人たちも、

「最近おかしいな」っていう異変にはきっと気づけるはずだから、

そんな人が周りにいたら、何か働きかけて欲しいなと思います。

 

自分って何がしたいんだっけ?

何をしている時が楽しいんだっけ?

などということを少しずつ余裕のある日に考えるようになっていきました。

この時併せて考えるといいなと思うのは、

何がしたいか?だけでなく、「何はしたくないか」という部分も。

 

自分の両極を考えるんですよね。

 

そして考えるのはざっくりでも構わないと思います。

 

なんとなーくこれがしたいな

なんとなーくこれはしたくないな

 

でこの時は充分。

 

正直、大学生の時の就職活動より自己分析をしましたね。

今のことだけでじゃなく、過去も未来も考えに考えました。

休職をして、要は社会から戦線離脱していたので、

「社会復帰」がまず第一の壁。

 

元の会社へ戻ることも考えましたが、

自分がそこに再び立てるの?と問うた時に「立てないな」となったのでした。

 

じゃあ何するのってなって、何ヶ月も休んでいたわけなので、

すぐすぐ正社員でフル8時間勤務は当時のコンディションじゃ想像ができなかったので、

「フリーターすっかな」と決めたのでした。

 

この決断は、職歴という観点で見ると一般的には良くないと思いますが、

自分の療養明けの社会復帰という観点で見ると、

最善の選択だったと今でも思っています。

 

結果、学生時代にずっとお世話になっていたコーヒー屋さんへ戻ることにしました。

 

慣れていた会社だったからこそ、自分の社会復帰のトレーニングに本当に最適でした。

感謝してもしきれないですね・・

そして、2月に社会復帰して1年後、再び正社員へと戻りたいと思えるほどになっていました。

この頃、もう病院には行っておらず、社会復帰をして半年ほど経過した頃に治療は中止していました。

 

うつ病は精神的なものなので、「完治」はありません。

なので、あくまでも治療を「中止できた」という解釈になります。

 

だけど、薬も飲まずにやっていけるようになっているので元気。

 

それから一念発起して、初めての転職活動。

フリーターを挟んでしまったことと、最初の会社の在籍が短いので、

書類選考で何十社落ちたかわかりません。

 

だけどそれも仕方のないこと。

最初からわかっていましたけど、まぁ想像以上に落ちる落ちる。

 

 

結果的にご縁があったのが、1社目と同じWEB系の会社でした。

志なかばで、自分の病気のせいでやりきれなかったこの業界には、

少なからず未練がありました。

 

あの時もっといろんなことを学びたかったし、吸収したかった。

その後悔の念がなかったかと言われると嘘になります。

 

自身の仕事への向き合い方を、病気を通じて学べたことで、

今は本当に楽しく働いています。

 

多くを背負いすぎないこと。

なんとかなると思うこと。

時に自分を甘やかすこと。

 

この辺りは常に頭の中にあります。

 

社会人になってすぐのあの時に、病気をしたことで、

これから自分がどういうふうに働いて行ったらいいのか

それを考えることができたことは大きな財産だったと思います。

 

 

なんだって、無駄なことは何一つなく、

未来のどこかに伏線として繋がっていきます。

 

 

健やかに楽しく毎日を生きていく。

それができれば再発もきっとないのだと信じています。